OSHOダイナミック瞑想についてOSHOの洞察

ダイナミック瞑想は、タントラの112の瞑想法には含まれていない。ダイナミック瞑想は現代人には絶対的に必要なのだが、

 ダイナミック瞑想は、タントラの112の瞑想法には含まれていない。

ダイナミック瞑想は現代人には絶対的に必要なのだが、


ブッダの時代にはそうではなかった。


もし、人々が無邪気で汚れがなかったらダイナミック瞑想の必要性はない。
だが人々が抑圧され、心理的に多くの重荷を背負っていたら、

カタルシス(浄化)が必要になってくる。


ダイナミック瞑想は単にそのスペースをクリーンにする手助けをする。


その後でなら112の瞑想技法のどれかを使うことができる。

それは難しくないだろう。



しかし浄化が行われていないまま、
あなたが、
たった今静かな瞑想ををやれば失敗するだろう。


 私は、人々がいきなり静かな瞑想技法をやって成果を上げられなかった、

と云うのをのを数多く見てきた。


 なぜなら、彼らの内側はゴミでいっぱいだったからだ、

まずその内側のゴミを空っぽにしなければいけない。

そのためには、ダイナミック瞑想がこの上もなく役に立つ。


 私が開発したすべての技法は、現代人のためのものであり。

これらの技法をやれば浄化されて重荷が降りてシンプルに、無垢になる。

もしかしたらこれら112の瞑想の技法はしなくてもいいのかもしれない。



 だがちょっとした好奇心からこれらの技法のどれかをやってみれば、

あなたは驚くことだろう。

自分がどれほどスンナリと内側の核心に入っていけるかに . . .

 

だから最初にくるのはカタルシス的な瞑想であり、

それが現代人に取っては絶対的に必要だ。

その後にだったら、静かな瞑想技法を使うことができる。


 私が西洋人のサンニャシンと一緒にやってきて気が付くようになった事実は、

彼らは東洋に馴染みがなく、
東洋的な意識の流れを知らないということだ。

彼らは異なる伝統からやってきている。



『気づき』をまったく知らない伝統から、

とりわけ西洋人のサンニャシンのために、

私はダイナミック瞑想のような瞑想法を考案した。


 瞑想者たちのキャンプを指導していたとき、

私はジベリッシュ瞑想とクンダリーニ瞑想を使った。



もしあなたがリラクゼーションから始めたいなら、

最初にこれらの瞑想をしなければいけない。


それは、あなたの心と身体からあらゆる緊張を取り去り、

リラクゼーションがとても容易になる。

 あなたが、どれだけ多くのものを抑圧しているのか、

自分では解っていないかもしれないが、

それが緊張の原因になっている。

 これこそがダイナミック瞑想の目的なのだ。

 

ダイナミック瞑想では、

あなたのエネルギーをすっかり使い切り、

もはや、マインドにエネルギーが供給されなくなるので、

思考や夢や幻想が作られなくなる。




 だからあなたは、瞑想ホールを初めて完璧に正しく使っているのだ、

これがその目的だと知った上で . . . . .



 スーフィーは ” アラー ” という名前の全部を使わない。

” アラー ” はイスラム教の神の名前だ、


彼らは ” アラ・フー “を使っていたのだが、
徐々に ” フー ・ フー “にしてしまった。

 

” フー “という音が正確にヘソのすぐ下にある、
生命の源を打つことを彼らは 発見したからだ。



あなたは自分の生命と自分の母親とがヘソを通してつながっていた。
ヘソのすぐ下にあなた自身の生命の源泉がある。



試して見なさい ” フー “と云うときに、
それがヘソの下を打つように。

それを私たちはダイナミック瞑想の第3ステージで使っているのだ。


それはスーフィーの発見だが同じことをチベットのやり方でもできる。


” フー “は少し荒々しい感じだから 、
” フー “ではなく” フム “なら少しソフトだ。



しかし ” フム ” はソフトである故に、

あなたの生命エネルギーを目覚めさせるのに長く時間がかかってしまうだろう。



 チベット特有の風土においてはソフトな方がピッタリだったのかも知れない。
彼らには命の源泉を叩くためにあれ程荒々しい音は必要がなかった。

だがアラビヤの過酷な砂漠で、
スーフィーの神秘家が ” フー “を使いはじめた場所では、

 ” フー “が必要だった。



ダイナミック瞑想を開発していたときだが
 、
” フー “を使うか ” フム “を使うべきかを、


私は選ばなければならなかった。


両方をやってみて解ったのだが、

インドではおそらく ” フー “の方が合っていると、



チベットの寒冷な高所では事情はおのずと異なるだろう . . .


 あなたの意識が、
頂上に達する以前に、
あなたの意識の中に積もった、

多くのがらくたや荷物を処分しなければならない。


何世にもわたって意識の中に持ち運んできたものを . . .


 


私は自分の瞑想法を次のようにまとめた。
 まず あなたの” ゴリラ “をカタルシスで取り除くこと、

それがダイナミック瞑想の中で起きることだ。
あなたは、
いっさい抑圧することなく、

あえて自分のゴリラを許し解き放つ、



 あなたがヴィパッサナのような、
何か静かな瞑想をしたいのだったら
、
まず、ダイナミック瞑想が絶対的に不可欠になる。



というのもキリスト教はあなたのマインドを汚染してしまっているからだ、

その汚染物質を捨てなければならない。



それを捨てるために、

あなたはダイナミック瞑想の中で、

意識的に完全に狂わなければならない。


さもないと、その狂気があなたの中にとどまり、

あなたが静かに見守り観照する瞑想に入ることを許さないだろう。



無意識は、
その中にあるガラクタを投げ出すための目標を必要とする。

(その目標は偽物であってもいい )


 あなたは、ガラクタを投げ出すため、

誰かを殺す必要はない像を壊せばいいだけだ。


写真を破ったり写真を焼けばいい。

そしてスッキリ解放する。



そして少しづつ徐々に、



なんであれ自分の夢の中にまたは、

起きているときに無意識から生じてくるものを現実化しなさい。



それが出ていけるように、
それを抑圧しないこと、


考えてはいけない!

『これは良くない』とか『これはだれにも見せるべきではない』と、
考えたりすることで
抑圧してしまうと、

それは内側の傷になって最後にはガンになるだろう。




それを解き放ちなさい。

自分のプライベートルームで、
それを解放すればいい、


いかようにも自分のすきな様に、


ダイナミック瞑想は基本的に、
あなたの無意識の重荷を下ろすために考案されたものだ。


 インドネシアのラティハンも同じことをする。

いったん無意識がきれいになり。



抑圧のために浪費されていたエネルギーがいらなくなると、

その同じエネルギーが今度は上昇しはじめる。

 なぜならいいかね、エネルギーはじっとしていられないからだ。
それは動かなければならない。

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