瞑想と幸せについて


人間は幸せになれる。

鳥達より幸せに、
木々たちよりも幸せに、
星々たちよりも幸せに、

なぜなら人間には、
木々たち、鳥たち、星々たちが持っていない何かを持っているからだ、


人間は意識がを持っている。
しかし、意識を持っているとき、二つの選択肢が可能だ。
不幸になるか
幸せになるかの 

そして、それは、あなた自身の選択になる。
木々たちは、ただ、幸せだ、
なぜなら、彼らは不幸になれない、
彼らの幸せは自由によるものではない、
彼らは幸せでなければならない。
彼らは不幸になることを知らない、
どんな選択肢もないのだから。

鳥達は木々を飛び回っている。
彼らは幸せだ、
なぜなら、彼らは幸せを選んだ訳ではない。
彼らは、ただ、幸せだ、
彼らは他の方法の在り方を知らない。
彼らの幸せは無意識だ、
ただ、自然にそうなのだ。

人間は途方もなく幸せになれる。
そして、途方もなく不幸にもなれる。
彼は自由に選択できる。
この自由は骨が折れる、、
この自由は危険だ。
なぜなら、あなたに責任が発生するからだ。

そして、この自由から何かが起きる。
何かが間違ってくる。
人間はどういう訳か 逆立ちしている。


あなたは瞑想を探して私のところへやってきた。
あなたに瞑想が必要なのは、
只一つ、幸せであることを選んでいないからだ。
もし、あなたが幸せであることを選んでいたら、
どのような瞑想も必要ではない。

瞑想は薬として用いられる。
もし、あなたが病気だったら薬が必要だ。
ブッダには瞑想はいらない。

一度、あなたが幸せを選びはじめたら、
自分は幸せであるべきだと決めたら、
瞑想は必要ではない。
すると瞑想はそれ自身で始まる。
瞑想は幸せであることの作用なのだ。

瞑想は幸せな人に影のように従う。
彼がどこへ行こうと、
彼が何をしていようが、
彼は瞑想的だ。
彼は集中している。

瞑想(Meditation)と言う言葉は、
薬(Medicine)と言う言葉と同じ語源から来ている。
それには、とても意義がある。
瞑想にもまた薬効がある。

もしあなたが健康なら、 
あなたは薬の瓶や効能書きを持ち運ぶことはしない。
もちろん、あなたが健康でないと、
あなたは医者にかからなくてはならない。
医者にかかるのは特に素晴らしいわけではない。
それについて、べつだん自慢することでは無い。
人は幸せであるべきだ。
すると、医者は必要ではない。
沢山の宗教がある、
なぜなら、沢山の人々が不幸だからだ。
幸せな人には宗教は必要ない。
幸せな人には寺院も教会もいらない。
なぜなら、幸せな人には全宇宙が寺院だからだ。
そして、全存在が教会だ。

幸せな人はどのような宗教的活動もしない。
なぜなら、彼の全生そのものが宗教的だから。
あなたが、幸せであって何をするにせよ、
それは祈りになる。

あなたの仕事は祈りになる
あなたの呼吸そのものが凝縮された輝きを放っている恩寵だ。

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