生に目的は無い。:OSHO講話  by アティーシャの智慧の書

愛する和尚 どうやってゆっくりしたらいいのでしょうか?

生とはどこかへ行くものではない。
そのためのゴール、
目的地は無い。
生に目的は無い。
それはただ在る。
この理解があなたのハートに沁み込まない限り、
貴方はゆっくりすることはできない。

ゆっくりするとは、
どんな「方法」の問題でもない。
其れはテクニック、技法の問題ではない。

くつろぎは結果ではない。
それはある行為の成果ではない。
それは理解の輝きだ。


これが私があなたに話したい一つ目のことだ。
生は無目的だ。
それを受け入れることは非常に厳しい。
ではなぜ生は無目的であることを受け入れるのが それほど厳しいのだろう?
それが厳しいのは、
目的なしではエゴは存在できないからだ。
生はゴールを持たないことを理解するのが厳しいのは、

どんなゴールも存在しないのなら、
そこにマインドを持つ、
エゴを持つ意味がないからだ。
エゴはただゴール指向の視野の中にだけ存在できる。
マインドは、ただ未来の中にだけ存在できる。

目的は未来を持ち込む。
ゴールは動こうと考え、現われようとする欲する余地を作る。
そしてそれなら当然急ぐようになる。
なぜなら人生は短いからだ。
今日私たちはここにいるが、
明日には去っている ー おそらく次の瞬間にも。

人生は非常に短い。
もし達成すべきゴールがあるなら急がざるを得ないし、
心配せざるを得ない。
「私は成功するだろうか、しないだろうか」
と絶え間なく心配することになる。

ハートの震え、
土台の揺れを心配することになる。
あなたは、ほとんどいつも 内側で地震が起こっている状態のままだ。
あなたはいつも 神経衰弱の狭間に いる。
ゴールを持ってごらん。
すると遅かれ早かれ、
あなたは精神分析医の診療台の上で終わるだろう。

私の洞察(ビジョン)は ゴール無しの生だ。
それは全てのブッダたちの洞察だ。
全てのものはただ単に在る。
全く理由もなく在る。
全てのものは、ただ全く不合理だ。
もしこれを理解するなら、
ではどこへ急ぐというのか?
しかも何のために?

その時あなたは、瞬間から瞬間へと生き始める。
その時、
神から、
あるいは全体、
またはタオ、
ダンマ、
ロゴスなど、
あなたの好きなように呼びたいものから、
恵み深い贈り物が与えられる。

この瞬間があなたに利用できるものだ。
歌を歌いなさい。
その全面性の中でそれを生きなさい。
そして将来訪れるだろう他のどんな瞬間の犠牲にもなろうとしないことだ。
それ自身のために生きなさい。

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